サイネージと間接痛

他人の日記。こんばんは、ここはいつでも夜ですよ。

読書の秋

やあ、ちょっとぶりですね。こんばんは、たった今目薬を刺した黒田です。

あっという間に11月。行楽の秋、芸術の秋、読書の秋、食欲の秋…なーんていろんな冠を揃えた季節な訳ですから、何かしらは乗っかりたいと思いまして。さっき何年か前に買った本を読みました。ユゴーの『死刑囚最後の日』をね。

読書の秋を楽しんでみたわけですが…こんな晴れ晴れした秋の日の午前に読むものではなかった…ってのが率直な感想ですね。名作でしたよ、スゲー気が滅入ったもん。没入感と言うんでしょうか。一人称視点で描かれる監獄の薄暗く湿っぽく黴臭い空気だとか、希望に満ちて美しいはずのものが、死への絶望という天井のない紙一枚の隔たりから灰のように色褪せて見える精神描写だとか…期限が近づくまでの間、恐怖したり希望を見出したり、また絶望したり、諦観したり、そしてやはり暴れ逃げ出したいほどの恐怖!主人公の心境が苦しくなるほど伝わってきます。特にあの祭司に対して、この人は自分を個として見ておらず、巨大な死刑囚という一括り、祭司にとっては日常でしかないと感じるシーン。それが仕事だから当然だとも感じているのが良い。あくまで自分の善性を一切疑ってなくて、他者を責めない考え方をしてる、或いはしようと努めているように思われて、それが非常に人間らしくて良かった。かと思えば処刑台に上がる前、憲兵だったか?見張りの富籤男を騙して、成り代わろうとするとこ、それまでは他者の中に善性を描いて、自分は誰も責めてないです、自分は哀れなだけです処刑はどうかと思います、って調子なのにフツーに富籤男が死ぬ事は何の気にもとめてない感じ。あれもすごい、そらそうするよね、そうだよね、ってこの世に生きる人間らしくて良かった。あくまでどこまでもただの人間、物語の主人公のような運命力は持たず、逆転の鍵も持たず、しかしドラマチックに己を仕立て上げた男。

読み終わって頭は痛いは元気は出ないわ…いろんなもんを吸い取られた気がしますが、ともかくすごい作品でした。

と言うわけで今日はコレだけ。友人たちとのアレコレやその他色々はまた今度でね。

蛇足。今焼きスルメ食べてます。美味い🦑なとりの焼きするめげそ。ジョシュ君するめ好きかなあ